「人生のステージ」

                               
清水千弘

私には,三人の子供がいる。大学2年生になる長女と高校3年の長男,中学3年になる二男である。その子供たちは,中学に入ると同時に,岐阜県の麗澤瑞浪中学にそれぞれ進学させ,寮生活をさせた。それは,私が麗澤大学の教員だったわけではない。

今から15年ほど前に,秋山龍三先生という方と出会った。その先生の書に「親が子をダメにする」というものがある。親があまりにも子供に干渉しすぎることで,子供は自立心を亡くしていくという。私の父も小学6年生の時に親を亡くし,私も大学院生の時に父親を亡くした。そして,母は脳内出血の後遺症で半身不随であったため,自ずとして自立しなければならなかった。

それまでの私は,中学・高校時代はテニスだけに明け暮れ,怪我で大学時代に思い切ってテニスが出来なくなってからは好きに勉強だけをさせてもらった。そんな甘い生き方をしてきた私では,今のような仕事に就くことは出来なかったと思う。

20代後半から30代前半までは,何かと親がいないことでつらいことも多かった。そのため,人一倍自立することを意識した。そのことは,自分に厳しくせざるを得なかっただけでなく,人に対しても厳しく接してしまうことで,多くの失敗もあった。一方で,自立できないことで失敗していくたくさんの人も見てきた。

そのような中で,私は,子供たちにも自立を求めた。長女の場合は,3月31日生まれであったため,12歳になると同時に家から出すこととなった。後の二人は,長女が引いてくれたレールに乗るだけだったので,苦労は少なかったと思う。その意味では,長女が一番の苦労をしたのではないか。

長男もいよいよ寮生活も最期の年となった。先月のことである。息子が寮長をしているためか,寮の先生から父母懇談会の寮別懇談会で寮生に対して話をしてほしいという依頼をいただいた。そこで,「国際社会で生きぬくための条件」と題して,15分程度の短い話をした。これからの日本が厳しい環境に置かれていくこと,その中で国際人として「自立」しないといけないこと,大人として働くことの大切さ,そして,大学に行くことの意義を,自分の恩師からの教えを交えて話した。

話を終えた後,一人の生徒が来て質問をした。「自分たちはどうして大学に行かないと行けないのか?あなた(私)はどうして働くのか?」という質問である。とても難しい質問である。「私たちは,一つでも,または一人でも多くの方から「有難う」を言われるために仕事をするし,より大きな「有難う」を言ってもらう仕事に就くために大学に行った。そして,もっともっと大きな「有難う」を聞くためにシンガポールまで行った」と言うことを話した。その生徒は涙をこぼした。この涙の意味は,正確には私には分からない。

ただ彼らは今,人生の大きなステージに立ち,大きな悩みを抱え,それに挑もうとしていることだけは分かる。

                  2015年11月25日 シンガポールの研究室にて

*エッセイに出てくる生徒に向けての講話で使用したレジュメです。