「恩師」

私たちは,とかく成功を積み重ねることが出来ると,自分の力を過信するようになってしまう。成功したときには自分の努力の結果だと思い込み,失敗したときには,運が悪かったと結論づけてしまうことも多い。

私は高校時代に,テニスに打ち込んだ。中学生の時から,インターハイに出ることを漠然として夢見ていた。高校二年になったときである。ある監督が,私の高校に赴任してきた。その監督が最初におっしゃったのが,「インターハイに出ることは東大に入るよりも難しい。選手の素質,努力,いい指導者との出会い,そして,最後は運」だと言われた。しかし,その運は練習次第で変えることができるものだと。確かにそうである。周辺校には,インターハイに出ることが目標ではなく,そこで勝ち抜くことを目標としているような高校がいくつもあったからである。

研究者となったのは,大学二年生になった時に,最初の恩師との出会いからであった。その師との出会いによって,研究に打ち込むことになった。その後,恩師からの紹介で大学を移ることになっていくが,新しい大学でも何人ものすばらしい指導者に恵まれた。

今,学者として仕事をさせていただいているのも,高校時代にインターハイに出ることが出来たのも,恩師と呼ぶことが出来る多くの方々に導いていただくことが出来たためだと,心から思うことが出来る。

一方で,20代後半から30代半ばまでは,研究者として苦しい時期が続いていた。そのときを振り返れば,運が悪かったのではなく,父を亡くした後に何かを焦り,自分を過信し,恩を忘れてしまっていた自分がそこにいたことが,今であればしっかりとわかる。

高校を卒業して30年,大学院を終えて20年が過ぎようとしているなか,昨年にカナダから帰国することをきっかけとして,今まで私を育ててくださった方々との再会が続いた。その再会の中で,今,自分が今やっていること,そして将来像に対して厳しい意見もいただく。「一体おまえは何をしているんだ」と。複数の論文を国際学術誌から出すことが出来,またまた過信をしてしまっていた自分がいる。いい研究をして,いい教育をすることで恩返しが出来ると勝手に思い込んでいたのだが,それだけでは,私が今までいただいた恩を返すことが出来ないことも教えていただく。

頂いた恩は返さないといけない。高いところから自分自身を見つめ直したときに,頂いた恩を忘れてしまっている自分がいた。そして,どのように今までいただいた恩を,誰に対して返していくべきなのか,私は何をしないといけないのか,と考えさせられる。

私が職業人として働くことが出来る時間も,20年を切ってしまった。この残された時間は,恩返しの時間にしていかなければ,そして,また私自身も恩師と呼ばれるような生き方をしていかなければと,自分をまた見失ってしまうと,強く危機感を持つこの頃である。


                         2014年6月11日 研究室にて