「父から引き継ぐこと」

日本道経会からの依頼で,岐阜支部にて講演をさせていただいた。その講演会の窓口になっていただいた方が,父と一緒に働いていたことがあった方だという。
父は,昭和20年に父親を亡くした時は,小学6年生で5人兄弟の長男だった。その後,母親も事故に遭い両足を亡くすなかで高校進学をあきらめ,中学を卒業した後に,十六銀行という地元の地方銀行に入行した。中学しか出ていなかった父の仕事は,きわめて限られたことしかさせていただくことが出来なかったため,定時制の商業高校に通ったことはしばしば聞かされていた。そんな父も,最後は,十六銀行本店の取締役まで昇進していた。
その後は,日東あられという地元の企業に出向した。それから数年後のことである。私が大学院生の頃に,日東あられの粉飾決済が見つかり,会社更生法を提出するということになってしまった。人事を担当していた父は,300人の方の解雇に取り組んだ。その際の労働組合の委員長をされていた方が,ご縁があり,道経会岐阜支部の事務局をされていたのである。
私は,父から多くのことを学ばせてもらった。仕事に明け暮れ仕事の中で死んでいった父ではあったが,その背中を見ながら,仕事との向き合いからを教えてもらった。しかし,それだけでは何も引き継がれていなかったであろう。なによりも,父の死は,私を成長させてくれた。
父が死ぬまでは,私はある意味甘えん坊であった。中学・高校では,テニスに没頭した。高校総体まで出ることが出来たのも,勉強しろと言うことは一言も言わずに,何不自由なくテニスに集中することを許してくれたおかげである。大学に入り,テニスをやめてからは勉強に没頭した。そんなことが許されたのも,父や母によって守られていたからである。そんなことも気がつかず,当たり前のようにテニスや勉強だけに没頭してきた私は,根っからの甘えん坊だったと言ってもいい。
しかし,父を学生時代に亡くした私は一気に生活環境が一変する。大学院をやめ,急遽仕事を探し,就職をする。不動産鑑定士などの国家資格を持っているか,博士号を持っていて当たり前の社会では,大学院まで行っていたとはいえ必ずしも一人前扱いはしてもらえない。そんな中では,仕事の成果で踏ん張るしかないという時期を過ごした。
絶対的には父の境遇とは異なるが,相対的には父と同じ境遇に直面した。そんな時期において,私は人間としても研究者としても一番成長させていただいたものと思っている。それが経験できたのも,比較的早い時期に父の死と向き合ったためである。
私の父もまた,小学生の時に父親を亡くしたことで,多くの苦労をしたものの得たものも大きかったものと思う,
今回の岐阜支部での講演では,たくさんの父が一緒に仕事をした方が来てくださった。このご縁もまた,父から私への贈り物であったと言ってもいいであろう。
親から子に,いろいろなことが引き継がれていく。私は,三人の子供たちに対して,どのようなことを引き継いでいくことが出来るのであろうか。命がある中で,きちんと父から受け継いだものを,子供たちへとつないでいきたい。

                         2014年1月20日 研究室にて