「ある夏の暑い日」

夏になると,自分自身にとって最も暑かったある夏の日のことを思い出す。甲子園が連日に放映される少し前に,全国高校総体が行われている。いわゆる『インターハイ』と呼ばれる高校生にとっては最も大きなスポーツイベントである。高校生の私は,ある夏の日にその場所に立っていた。

インターハイは,中学からテニスを始めた私にとって大きな目標であった。地元のインターハイの常連校が練習をする市営のテニスコートに行っては,その高校生のプレイを見ていた。そんな高校生の方は,中学生の私たちの憧れであった。

しかし,私の中学には,テニスコートすらなかった。近所の企業のコートが空いているときに貸していただき,ローラーを引き,草むしりをし,ラインを引いてからはじめて練習が出来る環境であった。週替わりで練習場所を探していた。そのため週末は早朝に仲間と一緒に自転車で30分かけて市営のテニスコートに通っていたのである。

そんな環境の中でもどうにか中学生の時に,岐阜県ランキングで2位になっていた私は,インターハイの常連校からの誘いをいただいたが,地元の進学校に行く。そこには立派なテニスコートがあった。それが嬉しくてならなかったが,今度は,練習時間は週末も含めて一日に二時間以内という制限があった。そのため,市営のテニスコート通いは,高校生になっても続いた。

そんな私達が,高校三年の夏に,インターハイに出場する。後輩達は,県外の中学から選手を集めている強豪校を破り,団体戦でも出場を果たす。夢が現実になった日であった。それを実現させたのは,実は,その市営のテニスコードで知り合った指導者,そして高校二年の時に赴任してきてくださった監督の指導力であった。

教えを請う側の熱い想いと優れた指導者との出会いは,夢を実現させる。練習環境などは関係がない。教員となった今,私は子供達の夢を実現できるような指導者なのであろうかと考えさせられている。


残暑が厳しい大垣にて