「遠慮」と「信頼」
                                                    清水千弘

 研究室で仕事をしていたら,急な電話が入った。初めての方だったが,私の学生が入国管理事務所に拘束されているというのである。彼女は,私が一年生の時に担任をした中国からの留学生だった。向学心が強く,とにかく頑張り屋だった。大手企業に就職したので,そこで元気に頑張っていると思っていた。
連絡が入った数日後に,面会に行くことができた。入国管理事務所は,品川から少し離れた海岸部にあった。面会の手続きをし,待合室で待っていると,人を外見で判断をしてはいけないものの,周りは見るからに違法なことをしてしまったと思われるような方々やその仲間といったような感じの人で溢れていた。そして,10分間の面会を許され,面会室に入る。そこは,よくテレビで見るような,刑務所の面会場所と同じように,ガラス越しでの面会となった。そこまで深刻なこととは思わず,気軽に気持ちできてしまった自分を恥じた。
現れた彼女は,収監されて3カ月が過ぎていたので,とても疲れ切っていた。彼女は,昨年の11月に会社を退職し,就職活動をしていたという。そして,この3月から新しい会社に行くことが決まっていた。しかし,この間を埋めるように,銀座で接客業のアルバイトをしてしまっていたというのである。そして,私に電話が入った時に,国外退去命令が法務大臣から出ていたのだ。確かに違法なことではある。彼女の名誉にかかわるのであえて書けば,国内法では違法なことは一切しておらず,ただ接客をしただけである。収監されたときに,彼女は,私のことを思ったと言うが,迷惑をかけてはいけないと思い,自分と友人だけで解決しようとしてしまったようだ。大学関係者とも話し合ったが,国外退去命令が出る前であれば,どうにかなった可能性は高いが,このような決定が下った後ではどうしようもないという。連絡をもらうのが遅すぎたのである。
 教員と学生との関係とは一体何であろうか。ゼミ生でも,私が知らないところで仕事に行き詰り,会社を退社していることを人づてに聞くことがある。私が心配するといけないから黙っておいてくれと言われていたという話を聞かされると,いろいろな意味でさみしくなってしまう。私自身,学生との壁はできる限り取り払い,何でも相談してもらえるような関係を作るように努力してきたつもりであった。しかし,実際は,大きな壁を作ってしまっていたのかもしれない。学生が「遠慮」しているのではなく,心からの「信頼」を受けていないのかもしれないと自問自答してしまった。
彼女から,中国に帰ったというメイルが届く。そこには,「先生とは一年ぶりであのような形でお会いすることとなり,残念でなりません」とある。子供たちが辛い時こそ,教員の出番なのに,そんな時に何もしてあげることができない教員は必要とされていないのではないか。心から「信頼」をされていたら,もっと早く連絡をくれたのではないだろうか。教育者としても,「まだまだ」である。
 
(2011年5月12日 研究室にて)