「生きる力」
                                                    清水千弘

 「先生,最貧国のひとつといわれるバングラデシュに行きたいと思っているんです」。去年の夏に,彼が入院している福岡の病室を見舞った時に,彼が熱く語っていたことである。彼は,骨肉腫という病魔と闘っている最中にあった。なぜ,バングラディシュなのか。同じクラスに,バングラデシュからの留学生がいるためなのかなと漠然と思っていた。
 その学生は,高校時代は,テニスに没頭していたという。私自身も,高校時代には朝から晩まで,勉強もしないで白球を追い続けていたため,単なる教師と生徒という関係以上に,何か感じるものがあったのかもしれない。彼は,高校時代に病魔に襲われて,一度はテニスを断念した。私が彼と初めて会ったときには,彼は車椅子に乗っていた。ちょうど,足の手術をした直後であったためだ。しかし,彼はテニスをあきらめていなかった。本学には,車椅子テニスの世界的なプレイヤーである国枝慎吾氏が在籍していた。その彼に憧れて,進学してきたという。
 去年の秋に入ろうとしていたときに,彼はがんの再発の治療という闘いを終えて,大学を訪問してくれた。巣立っていった教え子の訪問ほど嬉しいものはないが,この訪問は格別であった。彼と,彼と仲がいい友人を誘って,ちょっと無理をしてすし屋のカウンターに座り,財布の中を恐れながらも,時間を忘れて彼のバングラデシュ行きの計画を熱く語るのを再び聞いた。そして,バングラデシュからの留学生と,三人で一緒に行こうと盛り上がった。
 今年の夏に入り,夏休みに入ろうとしていたため,再び訪問したいと思い連絡を取ることを試みた。しかし,メイルを出しても,返事が来ない。数週間たった後に,肺炎で入院していたという連絡が入る。しかし,退院をして会うことができる状態になったというので,自宅に訪問することとした。私が訪問する前日は,余命宣告の日であった。医師から,彼に対して残された時間が少ないということを知らされたのである。そんな彼に対して,何を話せばいいのであろうか。先生,先生と慕ってくれても,自分は彼ほどの大きな苦しみと戦ったこともない専門馬鹿なのである。こんなときほど,プライドの高い専門馬鹿が役に立たないことはない。悩みに悩み,訪問する前日に,菩提寺のご住職に相談した。その答えは,「普通のことを話してきなさい。所詮,あなたは何もできないのだから。無理をしてはいけませんよ」という答えであった。何もできない私が,こんな大切なときに訪問してもいいのだろうか。自分の自己満足だけではないか。そんなことと最後まで葛藤しながら,北九州へと向かい,そして,そんな葛藤は最寄り駅から彼の家まで歩いている時まで続いた。自宅は,酒店を営んでおられたためすぐに分かった。まずは,ご両親にご挨拶をしてから二階にある彼の部屋に入った。
 彼は,起き上がることはできなかったが,温かく迎えてくれた。先生というものは,本当にたちが悪いもので,何もできないものと承知していながら,やはり学生には何か言わなければならないと思ってしまう。しかし,彼はそれを察してか,彼のほうから,古い友人と再会したかの如く,多くの彼のこの半年間のエピソードを語り聞かせてくれるとともに,これからの夢を語ってくれた。好きな女性のこと,大型バイク免許をとること,台湾に旅行をしたこと,そして,バングラデシュ行きのことである。前日に余命が宣告された若い青年とはとても思えないほど明るく,そして,訪問した私との時間を大切にしてくれた。午前中でお暇しようと思っていたが,お昼までご馳走になり,気がつくと5時間あまりも時間が過ぎていた。そして,9月の後半には必ず大学に来て,そして,また,仲間たちとすし屋に行こうと約束して別れた。
 しかし,九月にスコットランドにいたときに,「もうすぐ動くこともままならなくなると医師から宣告された」というメイルが入る。出張先から何通かの手紙を送り,精一杯の言葉を伝えることしかできなかった。彼は,自分の命がいつか尽きることよりも,自分が掲げた夢を叶えることができなくなることを悲しんでいたのであった。
 最初の問いに戻ろう。なぜ,バングラデシュなのか。彼は,そこに何か生きる力を見出していたのかもしれない。貧困だからこそ,強く生きようとする力がそこにはあるのかもしれないと感じたのではないか。われわれは,今,ただ,漫然として生きていて,生きていることの実感を持っていないのではないか。最貧国だからこそ,生きることを模索し,力強く生きているのではないか。今,そんな風に感じている。
 先週末,学会に出席するために東京駅から名古屋に行く最終の新幹線に乗ろうとしていたときであった。彼のご家族から,彼が旅立ったというメイルが入った。
 彼と一緒に行こうと約束した,バングラデシュに訪問し,「生きる力」というものをもういつか感じてみたい。

(北九州にて 2010年10月3日)