金融危機後の企業不動産戦略(日本経済新聞2009.11.17)

麗澤大学 経済学部 准教授 清水千弘氏

環境に未対応の不動産は投資価値が下がってい

 不動産の世界では「旧耐震」「新耐震」という言葉があります。1981年に施行された改正建築基準法によって建物の耐震基準が強化され、それ以前に建てられたビルは「旧耐震」、それ以後に建てられたビルは「新耐震」と呼ばれています。旧耐震基準に合わせて建てられたのオフィスビルは、投資の対象になりづらいのが現実です。
 今後、ビルにおける環境対応について、これと同様のことが起こるのではないでしょうか。地球温暖化に対する懸念が広がる中、環境対策は企業に課せられた新たな問題となっています。近い将来、ビルの新しい環境対策基準が策定される可能性が高いでしょう。すべてのビルが「旧環境対応」と「新環境対応」に別れ、前者は投資の対象とならず、賃料もどんどん下がっていく。そんな未来が想像できます。
 国土交通省が主導して開発された「CASBEE」(建築物総合環境性能評価システム)というビル認証手法があります。建築物をその環境性能で格付けするのが目的で、省エネやリサイクルのしやすさ、建物内の快適さなど、不動産の環境対応を総合的に認証するシステムです。「新環境対応」ビルの新たな基準として、今後普及が進む可能性は高いと言えます。
 ただし、不動産の環境対応の問題は、ビルの環境性能だけに注目して高機能な省エネビルをつくればいい、という単純な話ではありません。たとえば、一般の人間がF1カーを運転できないのと一緒で、ハイスペックな省エネビルに環境意識に乏しい企業が入居しても、そのビルの性能を使いこなせない。環境に対する意識が変わらなければ、どれほど省エネ性能の高いビルに入居していても、意味がないといえるでしょう。

生産性を高めることで不要な不動産が浮き彫りに

 不動産の環境対応問題のインパクトは、違う所でも影響を与えています。たとえば、国連が提唱している企業倫理規範「グローバル・コンパクト」。企業に対して、人権、労働基準、環境、腐敗防止に関する10原則を遵守するよう要請しています。この規範では、環境にきちんと配慮していない企業には投資できないことになっています。環境対応に劣った不動産施設を使用している企業は、資金調達もままならなくなるでしょう。
 企業の環境対策は工場などの生産設備に目が行きがちですが、自分たちが毎日通うオフィスの環境対策も無視できません。そこに勤める人たちがどのようなスタイルで働いているのか、どれくらいの量のゴミを出しているのか、どのような移動方法で通勤や営業活動をしているのか。こうした日々の企業活動に対して環境意識を向け、緻密なワークプレース(オフィスワークのための空間)戦略を構築することが求められてきます。
 ワークプレースを含めたCRE(企業不動産)戦略は、以上のようにさまざまな要因と変数が絡み合っています。解決すべき問題が山積している中、CRE戦略の向かうべき方針をプランニングするうえで、まず何を考えなければいけないのか、多くの不動産担当者は悩んでいるのではないでしょうか。
 答えはシンプルです。「自らの生産性を高めること」。これに尽きます。
 企業が事業を展開していくには、オフィスを用意し、人材を採用し、工場を建設し、商品やサービスを提供していく流れをたどります。このとき、各業務フローにおいて生産性を最大限に高めるために最適な不動産を選択していくことが何より重要です。
 優秀な人材を採用し、通勤しやすい所に営業所を構え、社員がいちばんよい働き方のできるオフィスを実現し、効率的な生産体制を目指すことで、無駄なエネルギーの使用が浮き彫りになります。最適な市場ニーズを把握し、それに合わせた生産設備を建設し、生産性を高めるための企業活動を繰り返すことで、不要なオフィスや生産設備などの余剰スペースが削減され、自ずと最適なCRE戦略に結びつくのです。
 日本では、製造業、非製造業ともに生産性が年々低下してきています。まだまだ、効率性を高めるための多くの余地が残されているといえるでしょう。

地球環境に逆行すれば市場から淘汰される

 CRE戦略の初期のステージでは、「生産性の向上が不動産戦略効率化につながる」という明確な意識をもつことに大きな意味があります。しかし、それだけではCRE戦略にも限界があります。その次にどのようなステージに進めばよいのか。
 ある研究者は、どれほど優れた商品を開発している企業でも、環境に対する配慮が欠けていれば企業価値は下がり、商品も売れなくなっていくという研究結果を発表しています。まさにその通りだといえるでしょう。
 消費者と向き合っている企業は、商品がどれほど優れていても、影で環境に負荷を与えるような活動をしていれば、商品そのものの価値も落ちてしまう。地球環境に逆行するような経営が明らかになった瞬間、その企業は市場から淘汰されてしまうでしょう。
 欧米の企業は、こうしたリスクに対して注意深く対応をしている傾向があるように感じます。日本企業も生産性を追求した後、環境対応に対して同様の努力を払う必要があります。
 優れた人材を採用するためにも、オフィスの環境対応を追求することは意味があります。個人的な印象ですが、学歴の高い人は環境意識も高い傾向があるからです。特に最新の教育を受けた若い人材は、環境対応に劣るオフィスしかないような企業に就職しようとは思わないでしょう。
 環境対応に優れたビルは、何も都心部になければならないわけではありません。英国でヘッドオフィスをロンドンから特急電車で1時間ほど離れた郊外に移転した銀行がありました。移転先を郊外としたのは、環境対応を考えた結果です。移転に際してケンブリッジやオックスフォードなど有名大学の学生たちが集まるか危惧されましたが、郊外の環境対応が優れた職場で働きたいと考える意識の高い人材を集めることができたと聞きます。
 優れた人材を採用し、優良な事業を展開していくため、どのような不動産戦略を考えていく必要があるのかを追求していくと、自ずと環境にも配慮せざるを得なくなってくる。これが不動産戦略と環境対策のあるべき姿だと思います。いくら省エネビルなどといっても、こうした意識が根幹になければ、真の環境対応は進まないはずです。


(2009年11月5日)