不動産市場分析を行うものの心構え
(不動産鑑定:住宅新報社所収)
 清水千弘

先日,某県財政課長の任務を負えて,東京に戻ってきた友人と食事をした。公共サービスの効果を定量的に把握するためにはどのようにしたらいいのかといったことで議論をしたが,どのような高度な統計技術を導入しても,適切な評価は困難であるということで意見は一致した。
同氏いわく,予算の妥当性を判断するときに,どれだけ説明することができるのかを重視したという。そこには,できる限りの客観的なデータに基づく説明と,社会的な公理に基づく論理性,そしてプレゼンテーション能力という三つの要素を重視したという。このことは,不動産市場分析を行うものにとっても,参考になるのではないだろうか。そこでは,単なる高度な統計技術や金融工学的な技術だけに頼るのではなく(手法の高度さでごまかすのではなく),その他の不動産市場分析特有の法的規制や経済的合理性を踏まえた分析とともに,分析者の言葉で,きちんとそれを相手に伝えるプレゼンテーション能力が求められるのではないだろうか。これもまた,通常の民間企業では当たり前のように行われている行為である。
業務上,鑑定評価依頼をすることがあるが,鑑定士だけの世界でしか読み解くことができない現在の「鑑定評価書」のプレゼンテーション能力は,最低といってもいいだろう。言葉の難解さでごまかすのではなく,分析能力で勝負すべきである。宅地建物取引業者においては,総合規制改革会議の指摘を受けて消費者の立場にたった「重要事項説明」の見直しが進められているが,鑑定士においても依頼者の立場にたった間定評個所のあり方が議論されてもいいのではないだろうか。この改善から始めていくことが必要であろう。
 このコーナーを通じて,多くの苦言を,あえて呈してきた。わたくしは,不動産鑑定という業務は,適正な規模で社会システムとして将来においても残っていくものであるし,極めて重要な行為であると考える。しかし,現行のような公的な補助を受けて存在している限りにおいて,短期的には一定の利益機会を得ることができるが,将来的には衰退産業になることは,金融業をはじめとして多くの業界で発生した事象を注意深く見れば容易に予想されることである。市場に軸足を移し,市場が求めている鑑定評価という行為がどのようなものであるのかをしっかりと考えていくことが,業界全体にとって長期的には大きな利益機会をもたらすものと考える。
私自身の研究対象は,既に違う分野に置いているので,この連載の終了とそのとりまとめをもって,自分の本来の研究と職務に専念したい。また,違う立場で不動産市場には関わっていきたい。これからは,皆さんの手で,不動産市場分析を実践していっていただき,日本の不動産市場を少しでも透明なものにしていただければ幸甚である。
私が望むことは,日本の不動産市場が適正に評価されることである。日本の不動産市場の魅力は,現在,投資家を中心として行われているレベルよりも,もっと高いところにあるものと考える。それを適正に評価させるためには,十分な情報開示と,それをしっかりと伝える不動産市場分析能力が必要である。そのためには,現在の情報の歪みをできる限り正確に伝えるとともに,そのような判定を下すことが可能な情報整備を行うことから始めなければならない。
さらに,そのように公開された情報を適切に加工した情報整備を行うことが必要であろう。例えば,ドイツの連邦(州)統計庁から公表されている不動産価格指数は,それに該当する。公的部門が整備すべき情報はまだまだ残されている。それは不動産投資インデックスではなく,不動産価格指数ではないだろうか。
また,日本の不動産鑑定技術は,諸外国に比べてけして低いものではない。近年注目されているダイナミックDCFを利用できる鑑定士は,欧米諸国でもほとんど聞いたことがない。また,欧米で主流のDCFソフトであるアーガス等でも同機能はないと思うし,そのようなことができるプロダクトも存在していないだろう。つまり,日本で指摘されている不動産市場分析技術の未熟さとは,技法的なものではなく,不動産情報が未整備であるがゆえに,十分な説明責任を果たすことができていないために生じるものと考える。鑑定士の社会的な立場は転換期を迎えている。是非とも,ある意味での復権を果たしていただきたい。

 一連の連載を通じて,不動産市場分析を行っていく上で必要とされる統計知識の多くを紹介してきたつもりである。また,ここで提供してきた題材は,共同研究として行ってきたものの多くを利用させていただいている。
 特に,小野宏哉教授(麗澤大学国際経済学部)との10年来にわたる共同研究は,この連載の多くの部分を占めているといっても過言ではない。また,同様に高辻秀興教授(麗澤大学国際経済学部),西村清彦教授(東京大学経済学部),浅見泰司教授(東京大学空間情報科学研究センター)には,共同研究を通じて多くの示唆をいただいた。これらの先生方との共同研究も利用させていただいており,以上の4人の先生との共同研究は基盤とさせていただいている。さらに,新村秀一教授(成蹊大学経済学部)には,統計学の魅力と統計教育の必要性をご示唆いただいた。これらの先生との出会いがなければ,このような教育的な連載をすることはなかったであろう。
 私自身が不動産市場を対象とした統計分析をはじめたのは,大学院博士課程に在学したときであった。その後の研究における問題意識の多くは,この時期において林山泰久氏(現・東北大学経済学部助教授),山村能郎氏(現・香川大学経済学部助教授)との議論を通じて形成されたといっても過言ではない。両氏においては,議論を通して研究に対する啓発をいただいただけでなくプログラミング能力が全くなかった筆者に対してきめ細かな指導をいただいた。
 以上の先生方にここに記して感謝申し上げたい。
 そして,何よりも不動産学研究の世界にお導きいただいた田中啓一教授(日本大学経済学部),このような統計分析の世界に導いていただいた肥田野登教授(東京工業大学社会工学科)には,深謝したい。肥田野先生には,統計知識がほとんどなかった筆者に対して,中村 慶一(1968)『応用回帰分析』(森北出版)のテキストを用いて指導されることで,半ば強制的に接点を作ってくださった。先生からは,統計知識だけでなく,分析を行う際の心構えを含めてご指導をいただいた。
統計分析(または研究)では,「敵は自分の中にいる。統計で嘘をつくことはできない」と。
統計分析を行っている時には,粘り強い分析が求められ,想定した結果を得ることができない場合がほとんどであるため,多くの挫折を味わう。そして,それは孤独な戦いである。そこには,様々な誘惑との戦いが存在する。
 これから,皆さんが不動産市場分析に統計技術を利用されようとしているのであれば,わたくしかも最後に一言申し上げたい。
「敵は自分の中にいる。統計で嘘をつくことはできない」。
自分にそして全てに対して正直に生きていきたいものである。
 不動産市場分析に関わる方のご活躍と不動産市場の回復,ひいては日本経済の回復と成長を心から祈念し,本連載を終了したい。