統計学を学ぶ意義
(不動産鑑定:住宅新報社所収)
 清水千弘

「統計学を学ぶ意義」は何か。先日,私なりの意見を書いた。それに対して,いろいろな意見をいただいたが,それに関連し,「鑑定報酬料と将来展望」について質問をいただいた。以下,私なりの意見としてお答えしたい。
類似した問題として,宅地建物取引業者による仲介手数料は高すぎるのではないかという意見がある。その根拠として挙げられるのが,宅地建物取引業者が提供するサービス水準と顧客満足度との関係に大きく依存する。
 市場価格は,サービスを提供する側の限界的なコストと享受する側の限界的な便益に応じて,その両者が一致する点で決定される。
 そのようななかで,宅地建物取引業者が行う業務工程別のコスト構造を推定し,さらに彼らを待ち受ける現在及び将来のリスク,具体的には紛争や訴訟にまで発展するようなケースを調べていくと,平均的な価格水準の物件仲介の両手6%といえども,必ずしも高くないことがわかる。特に,成約して初めて報酬を得ることができる成功報酬体系であるため,成約に至らなかった物件に関するコストが成約された物件に転嫁されるという報酬体系が解消されない限りは,実際の手数料を支払う消費者の限界的便益と宅地建物取引業者の限界的費用は一致することなく,消費者の割高感は解消されない構造が内在している。つまり,成約に至らない消費者のいわゆる「ただ乗り(Free Rider)」問題である。
 また,米国のカリフォルニア州などの事例などを調査してみると,いわゆるリアルターに課せられた社会的・法的責務と報酬額の比較では,日本の宅地建物取引業者のコスト負担がいかに高く,それに対応した報酬額がいかに安いかがわかる。先日,全米リアルター協会の理事に日本の仲介制度における宅地建物取引業者の責任と報酬額を説明したときに,「これではかわいそうだ」といったことが印象的であった(この問題については,「日本の不動産流通市場のコスト構造」として別稿で報告したい)。
 一方,不動産鑑定士はどうであろうか。土地集約型の公共事業の限界と不動産市場がグローバル化に伴う不動産金融市場の発達をはじめとする社会経済環境が変化するなかで,不動産鑑定士の社会的責務は変化しようとしている。公共事業用地などの買収においては,公的資金が投下され,いわゆる納税者から地主への所得移転が行われているのであるが,その原単位となる公示地価等が上方にミスプライスしていれば,地主には血税を通じた不当な利得が移転したこととなる。この問題に関する納税者(オンブズマン等)の監視も強化されていくであろう。
また鑑定評価額と投資リスクが密接な関係があるなかで,ミスプライスに伴う経済的な損失を投資家にもたらした場合に,鑑定士はどのような責任を負うべきであるのか。それは,鑑定士の責任であるのか,情報整備等をしていない公的主体の責任であるのか(実質的には後者の責任が大きくても,実際は鑑定士に求められるだろう)。リスクをとらないのであれば,報酬額はどの程度が適正なのか。不動産鑑定士の社会的責務・法的な責任,そしてそれに対応した適切な鑑定報酬料に関する問題を問われる日も近いかもしれない。
以上が,ご質問に対する私なりの見解だが,これは競争原理にさらされる民間企業ではあたりまえのことである。そうした問題から,自己防衛していくための手段のひとつとして,客観的な指標として評価手続きを透明化できる「統計的手法」を用いることの意義は大きいと思う。公的事業手続きの透明化については,清水・小野(1998),小野・清水(1998)を参考にされたい。